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広島高等裁判所 昭和31年(ネ)77号 判決

主文

第一審被告の控訴を棄却する。

原判決中第一審原告の請求を棄却した部分を次の通り変更する。

第一審被告は第一審原告に対し金三十三万円の支払をせよ。

第一審原告のその余の請求を棄却する。

控訴費用はすべて第一審被告の負担とする。

この判決は第一審原告勝訴の部分に限り金十万円の担保を供して仮に執行することができる。

事実

第一審原告訴訟代理人は「原判決中第一審原告敗訴の部分を取消す、第一審被告は第一審原告に対し金四十三万円の支払をせよ」との判決並びに主文第一、第五項同旨の判決及び担保を条件とする仮執行の宣言を求め、第一審被告訴訟代理人は「原判決中第一審被告敗訴の部分を取消す、第一審原告の請求を棄却する、第一審原告の本件控訴を棄却する、訴訟費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする」との判決を求めた。

当事者双方の主張は、第一審原告訴訟代理人において「第一審原告がその妻郁子と離婚した日時は昭和二十九年八月三十日であるから、右の通り訂正する」と述べた外、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

(立証省略)

理由

成立に争のない甲第一号証、原審証人合田広見、高田秀治、深井ツネヨ、山田昭、当審証人菊沢郁子(一部)の各証言、原審及び当審における第一審原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を綜合すれば、次の(一)から(六)までの事実を認めることができる。

(一)  原告(第一審原告、以下同じ)は昭和二十二年九月頃大阪市において訴外菊沢郁子と恋愛結婚をし、昭和二十三年七月二日婚姻の届出をなし、その間に同月二十五日長女裕子が出生し、昭和二十七年四月頃まで大阪市において円満な家庭生活を営んでいた。

(二)  原告の両親は下関市において燃料商を営んでいたが、老令のため原告に対しその商売を譲りたいから下関市に帰つて来るようにすすめたので、原告は昭和二十七年四月頃その就職先より退職して妻子と共に下関市に帰り両親と同居して燃料商の手伝をすることになつた。

(三)  しかるに、原告の妻郁子と両親との折合が思わしくなく、原告の両親はその営む燃料商を原告に譲る気配もなかつたので、原告夫婦は両親と別居し同年秋頃から原告は小倉市所在の上村紙業株式会社に勤務するようになつた。

(四)  原告の妻郁子は下関市に住むようになつてからは、原告との家庭生活に不満を懐くようになり、たまたま原告方の近所で菓子類及び煙草の販売業を営んでいた被告(第一審被告、以下同じ)と知合となるや、被告に対し原告との夫婦生活の愚痴をこぼしたり、身の上話をするようになつた。

(五)  右の様な関係から、郁子と被告とは次第に親密になり昭和二十八年暮頃には二人で一緒に映画見物に行くような間柄となつた。そこで昭和二十九年に入つて被告は郁子が原告の妻であることを知りながら、同女を誘惑して下関市竹崎町所在の旅館天海荘に同女を伴い、同所において数回同女と情交関係を結び、更に昭和二十九年五月頃下関市長府町の玉椿旅館において、又同年七月十三日頃大阪市所在の大門寺旅館において各一回同女と情交関係を結ぶに至つた。

(六)  原告は近隣の噂により妻郁子と被告との不倫な関係に疑惑をいだき同女を問い責めた結果、同年八月八日頃同女は前示の如き被告との情交関係を告白し原告の許しを請うに至つた。原告は二人の間に子供もあることでありまた同女に対する愛情を全く失つたわけでもなかつたから、一時は同女の過去の罪を許し夫婦関係を続ける気持になつたが、右不倫を知つたことによつて原告の被つた精神的打撃は余りにも大きく神経衰弱となり、夫婦の間柄がうまくゆかなくなつたため、郁子は自から進んで離婚の申出をし、同月三十日原告と郁子とは協議上の離婚をした。

以上の通り認めることができる。乙第一号証の二の記載並びに当審における証人菊沢郁子、菊沢小今、近藤浅子の各証言及び第一審被告本人尋問の結果中以上の認定に反する部分は、前示認定に供した各証拠に照し容易に信用できない。

しからば、被告は郁子が原告の妻であることを知りながら同女と肉体関係を結び姦通をなしたものであつて、これにより原告の同女の夫としての人格的利益を侵害したものであるから、原告の被つた精神上の苦痛及び損害に対し慰藉料を支払うべき義務のあることは明らかである。

そこで、その慰藉料の額について判断する。

被告が菓子類の製造販売並びに煙草の小売業を営み、下関市内に時価約金五十五万円相当の木造瓦葺二階建店舗一棟を所有し中流の生活をしている事実は当事者間に争がない。また、原審証人佐村栄治、深井ツネヨの各証言並びに原審及び当審における第一審原告本人尋問の結果によれば、原告は当三十八才であつて、下関商工学校を卒業し、大阪市においてゴム会社に勤務した後、前示の通り昭和二十七年秋頃から小倉市所在の上村紙業株式会社に謄写係として勤め現に一ケ月金一万六千円の収入を得ている生真面目な人物であること並びに原告は妻郁子と被告との不倫な関係を知り精神上甚大な打撃を受けて神経衰弱となり、遂に妻郁子との夫婦生活が破綻し幼い子供があるのにかかわらず協議離婚の止むなきに至り精神的に多大の苦痛、損害を被つた事実を認めることができる。

前に認定したところから考えると、原告は最初郁子と恋愛結婚をし夫婦生活は円満であつたが、昭和二十七年春頃下関市に帰つて原告の両親と同居するようになつてからは、郁子は原告との家庭生活に不満を覚えるようになつたのであるが、被告が郁子を誘惑して姦通しなければ、原告と郁子とが離婚する如き事態は生じなかつたものと認められるのであつて、以上に認定した諸事情を考え合わせると、被告の原告に対し支払うべき慰藉料の額は金四十万円と認めるのを相当とする。

しからば、原判決中原告の本訴請求のうち金七万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和二十九年十二月三日以降完済まで年五分の割合による遅延利息の支払の請求を認容した部分は正当であるが、原告のその余の請求を棄却した部分は失当であるからこれを本判決主文第三、第四項の通り変更すべきものとし、被告の本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十五条、第八十九条、第九十二条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を各適用して主文の通り判決する。(昭和三二年七月三日広島高等裁判所第三部)

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